「源氏物語 鈴虫」(紫式部)

女三の宮と源氏、それぞれの孤独

「源氏物語 鈴虫」(紫式部)
(阿部秋生校訂)小学館

女三の宮の
持仏開眼供養が営まれるが、
源氏と女三の宮の心は
すれ違うばかりであった。
秋の夜、女三の宮を
源氏が訪ねていた折、
蛍兵部卿の宮や
夕霧たちが集まり急遽、
鈴虫の音を聴く宴が催される。
席上、源氏は柏木を追憶し…。

源氏物語第三十八帖「鈴虫」。
秋の夜に鳴く鈴虫のように、
淡々とした筆致で進行する
薄味の帖なのですが、
ここで描かれているのは
女三の宮の孤独、
そして晩年を迎えた源氏の孤独、
さらにはそれを取り巻く人々
それぞれの孤独なのです。

柏木との密通が源氏に露見し、
源氏との関係が崩壊した女三の宮。
出家することにより、
心の安寧をえられるはずでした。
しかし六条院に留め置かれ、
源氏と顔を合わせざるをえない状況に
辟易としているのです。

教養も感情も感性も
持ち合わせていなかった彼女は、
源氏の心をつなぎ止めておくことが
できなかった(そうしようとも
思わなかったのですが)ばかりか、
柏木を手引きした小侍従のように、
女房たちにも
慕われていなかったであろうことが
想像できます。

加えて前帖にも本帖にも、
柏木との間に生まれた我が子・薫への
母親としての感情も
全く描かれていません。
母性にも乏しかったのです。

人間として多くのものの欠如している
彼女の心象風景は、
荒れ果てた大地のような
茫漠感が漂います。
言いようのない孤独です。

そうした女三の宮に対して源氏は、
未だに少なからず
未練を感じているのです。
彼女が許しを請い、
関係を修復するきっかけを
待っているようにも見えます。
しかし彼女にそれを望むのは
難しいことなのでしょう。

玉鬘が髭黒大将に嫁ぎ、
兄帝朱雀院が出家し、
続いて朧月夜が出家し、
紫の上が体調を崩し、
柏木が急逝し、
今また女三の宮が
出家しようとしているのです。
次から次へと源氏から人が去り、
人の心が離れていくのです。
これこそ源氏晩年の孤独です。

この帖の後半では、
秋好む中宮も出家の意思を表明します。
その主たる原因は
母六条御息所が成仏できずに
物の怪となっている噂を
聞きつけたからです。
ここにも母子に渡る
孤独が横たわっています。

「若菜」の帖が
激動の筋書きの長編小説なら、
この「鈴虫」は嫋やかな風情の漲る
短篇小説ともいえるでしょう。
秋の夜長に似つかわしい一帖です。

(2020.10.10)

makieniさんによる写真ACからの写真

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